深紅の月、漆黒の夜 1
エスタミルのボガスラル海峡を挟んだ南側の地域。すなわち南エスタミル。
犯罪者の楽園と烙印を押されたこの町は不穏な空気を漂わせている。それが日常。
故に何事か事件が起きても誰も気にも留めない。
だが、それは自分に関わりがない事象である事が前提だったとこの街で盗賊を生業としているジャミルは痛いほど感じていた。
「ジャミル、あんた仕事する気はないかい?ちょっとやばい仕事なんだけど・・・」
そもそも事の始まりは、行きつけのパブの顔見知りのパブのマスターの一言から始まった。
「ああ、もちろん!かまわねえぜ!(・・そもそも泥棒自体がヤバイ職業だしな・・)払うもんさえ払ってくれるなら何だってやってやるぜ!」
ブラッディマリーを味わわずにごくごくと飲んでいたジャミルは巷で囁かれる「お調子者」の枕詞にふさわしく、深く物事を考えずに勢いよく引き受けた。隣に相棒のダウドが居たら気弱に止めただろうが、酒の飲めないダウドはめったにパブには顔をださない。
まあ、たとえ居たところでジャミルは一蹴するだろうが。
「で、どんな仕事なんだい?おばちゃん」
ジャミルは何の遠慮もなく失礼な呼び方をする。
「じ、じゃあ、カウンターの奥のお客さんに話し掛けてみて」
「おばちゃん」は一瞬こめかみのあたりを引きつらせたが、悟られない様すぐさまにこやかな表情を浮かべ言った。
まあ、相手が不快になろうが、怒り出そうが自分に被害が無い限り気にしないのがジャミルという人物である。それぐらい図太くなければ南エスタミルでは生きて行けはしない。
言われるままにその人物に詳細を訊ねる。
「じゃ、おっさん、そういう事だから手取り早く内容を教えてくれよ。」
かなり短刀直入な上にかな失礼である。
「・・・・」
『おっさん』はだいぶ機嫌を損ねたようだ。露骨に態度に出すあたりマスターの「おばちゃん」比べ器が小さいと言えよう。
「今のやり取り聞いていたんだろ?俺が入った時からアンタの視線感じてたぜ?」
さすが、都会の盗賊。お調子者でも抜け目は無い。
男は観念したように口を開く
「・・・このクジャラートのリー、ウハンジ様を知っているか?」
「ああ、スケベ親父と名高いウハンジさんね。噂だけなら聞いたことあるぜ。」
ちなみに『リー』とはクジャラートの太守の称号であり、ローザリアで言えば王にあたる。
それもジャミルにかかるとただのスケベ親父になってしまう。男は微妙な顔をしたが半紙を続ける。
「・・そのウハンジ様が最近若い娘を集めて遊びほうけているらしいのだ」
「やっぱりスケベ親父じゃねえか・・・」
「・・・・・・・・まだそうとは決まっていない。それを調べて欲しいのだ」
「分かったわかった。その若い娘を集めた場所、つまりハーレムを発見すりゃいいんだな」
やれやれというようにジャミルは理解した意を示す。
「そういう事だ、依頼人はウハンジ殿の奥方様だ」
「へ〜奥さんいるんだ?よっぽど怖い奥さんなんだろうな。」
ジャミルはどうやら相手にいちいちツッコミを入れないと気がすまない質らしい。始終話の腰を折られまくった男は
「せいぜい頑張るんだな」と嫌味ったらしく付け加えることによって軽く逆襲してみた。
「それはそうと、払うもんは払ってくれよな!」
ジャミルは何も聞いていないかのように陽気に付け加える。
「俺に任せておけば間違いナシだぜ!」
そして、パブから脱兎の如く消え去った。
その数分後、
「あんのガキャーー!食い逃げしやがった!!」
遅まきながら何かに気付いたパブのマスターの金きり声が響き渡ったとか渡らなかったとか・・・
怒髪天を貫いたマスターは傍らの男に耳打ちした。先ほどの陽気なおばちゃんの顔ではなく、冷徹表情であった。
「おい、ヌアージ、あの盗賊だけではいささか頼りない、保険をかけときな」
ヌアージと呼ばれた男は今しがた入ってきた客をちらりと見ながら、聞こえるか聞こえないかの声で返す。
「了解した。レベッカのおかしら。実はもう目をつけたのがいるのだ」
「そうかい、じゃあ、後は頼んだよ」
もし、この会話を聞いた者がいたら背筋を凍らせる事となっただろう。
このエスタミルで「おかしら」と呼ばれる人物はギルドの長ただ1人である。
だが、幸い、というか彼らが悟られる事の無いよう注意を配ったからなのだが、だれも耳にする者は居なかった。
「さて、引き受けたはいいが、どうやって探すかな?」
パブで食い逃げをし、無事に居路地裏に逃込んだたジャミルは頭の後ろで手を組みながらのんきにそう呟いた。
そんなおり「ハラへっているんだ・・・何も食べてないんだ!」
何所から沸いてきたのか、突然目の前に物乞いの少年が現れた。
別にエスタミルでは珍しくないし自分にも経験がある。
いつもは適当にあしらうが、食い逃げの分の代金が浮いたのでほんの少し恵んでやる事にした。
「しかたねえな、これで焼肉でも食えよ!」
其の額50金、焼肉を食べられたとしてもせいぜい1〜2枚ぐらいだろう、が子供は大いに喜んだ。
「わーいわーい!やっきにっく!やっきにっく!ご馳走だぞ!うれしいな!」
そして
「有難うお兄さん!おいらも取っておきの情報を教えてやるよ!下に奴隷商人のアジトがあるんだぜ!すげーだろ!でもおいらとおにーさんの秘密だぜ!うひょひょひょ!」
と彼なりの感謝の意を示して上機嫌でくるくる回りながら去っていった。
大丈夫かなとあきれつつ見ていたジャミルは
「奴隷商人のアジトか・・・地下っていうと地下道のことか?ま、デタラメだろう」
半信半疑ではあるが一応記憶にとどめておく事にした。そして再び路地裏を歩き始める。
このあたりは所狭しとばかり古びたバラックが立ち並んでいる上、洗濯ものやら、狭い家に入りきらない生活用品などが道に溢れている。
そこをエスタミルの貧しい子供達が元気に走り回り、物乞いをする者、出所の怪しい物品の取引をする者等様々な人で埋め尽くされる。
とても健全とはいえない場所だが、物心ついた頃からこの場所で生きてきたジャミルにはそれ程悪いところとも思っていなかった。
此処には、彼にとって大事な仲間達がいるのだ。
「ジャミル〜」
今ちょうど向こうから走りよってくるダウドもその1人だ。
「よう!ダウド!ちょうど良かった。今・・」
ジャミルは駆け寄ってきたダウドに今パブで聞いた情報を相棒に聞かせようと思った。
が、ダウドは全速力でここまで走ってきたらしく息をきらせている。
「なんだよ、ダウド、なに慌てているんだよ?又何かヘマやらかしたのかあ?」
ジャミルはダウドの顔を覗き込みながらからかう様に聞く。
「ち、ちがうよ!大変なんだ!」
ようやく呼吸の整ったらしいダウドが口をパクパクさせながら慌てて否定する。
「じゃあ、ファラのおかあちゃんの大切にしているツボでも割ったのか?」
「ちがうってば!そんなんじゃないんだ!!ファラが!ファラが!!」
ダウドは慌てているあまり其の後が言葉にならない。
「ん?ファラがどうした?また、仲間はずれにしたとか言って怒っているのか?全く子供だな・・あいつは」
ジャミルは勝手に1人で納得しているようすである。ダウドは「ジャミルに言われたくないだろうな」と少し思ったが、そんな事はどうでもいいことである。
それよりも余程こちらの方が重要だ。
「ファラが、攫われたんだ!!」
ダウドはやっとそこまで言い切った。そして
「どうしよう!!?」と相棒に指示を仰ごうとしたが、ジャミルはもうその場に居なかった。既に幼馴染の住む家へと駆け出していた。
先ほど食い逃げした時よりもそれは早かった。
「え?待ってよ〜!ジャミル〜!」ダウドは慌てて追いかけた。