神を宿す舞3
酒場に居る人間の視線を全て浴びながら、バーバラは舞を終えた。
曲も途切れ暫しの静寂が訪れる。一つとして物音は無い。
誰もが余韻に浸っていた。
静寂を破ったのはそれをもたらした本人だった。
「どうも有り難う。」
あでやかな笑みを浮かべながら気安く言う。自分の踊りがどれほどの感動をもたらしたか、それを意識はしていないようだ。
それを契機とし、止まっていたときが動き出すように、いっせいに観客から歓声が湧き上がる。炸裂したと表現した方がよいかも知れぬ。
「いいぞ〜〜〜姐ちゃん!!」
「最高!!!」
「もう一回踊って!!」
だが、バーバラは周りの状況に片手を上げてにこりと笑って応えただけで、もといたカウンターにもどっていった。
観客達はやや不満気な声をあげる者もいたが、次第に皆、中断していた私事の話題を知人とはじめ、また晩餐を再開する。
魔法の時間はもう終わったのだ。
バーバラはカウンターに戻る前に詩人に感謝の意を示す。
「有難う、今日はとてもよく踊れたよ。貴方の曲のおかげね」
「それは何よりも嬉しい賛辞です。」
詩人は曖昧な笑みをただよわせたまま応え、酒場の無聊をわずかながらでも慰めるように再びギターを爪弾く。
その様子にバーバラは邪魔をしてはいけないと思い、何も言わず背を向けた、が。
「私の曲は気に入っていただけましたか?」
バーバラは振り返り、背中越しに「ええもちろん」と即答し、そして正面に向き直り、今まで疑問に思っていた事を尋ねた。
「あの曲を作ったのは貴方?」
「さあ、どうでしょう?私はあまりにも多くの曲を奏でてきたので、どれが自分の作った曲なのか覚えていないのですよ」
暖簾に腕を押すように手ごたえの無い反応だった。バーバラはやや、屹っとした表情で問う。
「あの曲は、あたしと母親しか知らないはずよ」
詩人は相変わらず曖昧な笑みを浮かべるばかりだ。
バーバラは尚も問う。
「いいえ、少し違うわね。正確には、あの時、母が最後の踊りを踊ったあの時、あの場にいた人しか知らないはず・・・」
苦痛と悲しみに顔がゆがむ。何度思い出しても心が痛い。
あの時、側にいたのは曲を奏でた人と、あと一人だけだった。
自分よりも3つか4つぐらい年下だったと思われる少年。
共に居たのはほんの少しだったけど、痛々しくも美しい思い出の一こまを形成していた。
詩人は応えずにただ微笑むばかりだ。
その様子にバーバラは呆れたように苦笑しながら、これ以上尋ねても益はないと思い
「まあ、いいわ、其の曲で踊れた。それが嬉しかった」
そう言って、今度こそ立ち去る。
後ろ姿を見送りながら、誰にも聞こえないように呟く。
「貴方のお母様の最後の踊りはとても素晴らしかったですよ」
固唾を飲んで見守っていたアルベルトやホークも初めて呼吸を許された人間のように息を吐き出す。そして互いに感想を交換する。
「いやあ、36年生きてきたが、滅多にねえ、いい見世物だった。」
「こんなに感動したのは初めてです。心を揺さぶられるとはこう言う事なのですね」
ミリアムは不安に沈みそうになりながら、グレイのほうを見る。
さすがに、先ほどまでのあからさまな驚愕の表情はしていなかったが、未だ心ここにあら図の様子であった。
その心中に去来する物が何か、それは其の表情からは読み取れない。ミリアムはむしろそれに安堵した。グレイが何を考えているか、心の中では9割がたは理解しているのだが、最後の可能性を打ち砕かれるのを恐れた。
その瞬間が来るのは避けられないのだとしても、すこしでも引き伸ばしたかった。
でも、それはただの逃避だ。
「グレイ」
ミリアムは意を決し声をかける。
「・・・・なんだ?」
グレイは名を呼ばれてまるで今初めて夢から醒めたように、周囲の状況をはじめて認識した。
そしてミリアムをはじめ、ホークとアルベルトが、自分を追いかけて此処にきた事を知った。ホークの呆れたような顔つきやミリアムの不安げな相貌から一部始終を黙視されていたことに気付き、さすがに居たたまれない気分になった。
「すまない」
グレイの心内で起きた感情の変動をまったく感知しないアルベルトは相手が何故謝罪したのか理解できず、またホークはこの人物が素直に謝罪した事に逆に調子が狂った。
「え?どうしたんですか?」
「いや、べつにかまわねえが、声ぐらいかけろよな」
ミリアムはその謝罪が、実は自分にだけに向けられた事を知っていた。
そう、それはつまり、決定的な瞬間だった。
その事を知っていたのはおそらく、当の二人だけだっただろう。ホークはただならぬ二人の気配を察したのかしなかったのか、空気を変える様に話題をふる。
「まあ、お陰で良いものが見られたからいいか、ああ、もう腹が減ってしかたがねえ、面倒だ。此処で食っていこうぜ」
似たような光景、似たような台詞がさっきもあったなとアルベルトは思ったが、入口に突っ立っていてはほかのお客さんの通行の妨げになるし、腹の虫が限界の悲鳴を上げていたので承諾した。
「そうですね。では席を探してきましょう」
二人はが猥雑な店内へと消えていった。
ミリアムは一刻も早く店内から立ち去りたい衝動に駆られたが、かろうじて抑える。
「グレイ、行こうよ」
何時もの様に明るい調子でミリアムは未だ考え込んでいるかのように見えるグレイの袖を引っ張った。
「そうだな。」
そう答えるグレイは何時もと変わったところはなかった。
ミリアムとグレイは先に入って行ったホークとアルベルトを追った。
再び、カウンターに着いたバーバラは店の入口で起きた一連の出来事に気付く由もなかった。
バーバラはカウンターに置かれたサングリアに手をつけずに、じっと其の紅い液体を見詰めた。
だが、意識はサングリアルの上にはなく、此処ではない何所かに飛んでいた。
母親のマリーが死んだ時のことを思い出した。
母親もまた、自分と同じく踊り子であった。いや、亡き母親にすこしでも近づきたいと目指して自分は踊り子になった。
母の踊りは素晴らしかった。あの時いた一座は母親の踊りでもっていたようなものだ。
だが、母は流行り病に侵された。急激に体力が衰え、見る影も無いほどに容色もあせていった。起き上がることすらも叶わず、無論踊る事など出来よう筈はなかった。
母マリーは一座の迷惑になるわけにはゆかぬといい、団長が引き止めるのも聞かずに一座を去った。
バーバラには残るように母は言ったが、そんなことは出来るはずもなかった。
バーバラは、フロンティアの小さな村で母親の看病をした。
フロンティアは一座が拠点としていた所だった。当然ながら、一座の花形であったマリーの事を知らぬものはなく、それゆえに農家の人が農閑期でその時期は使われていなかった、納屋を快くしてくれた。
占い師でもあった、母には自分の死期が分かっていたのだろうか?
もはや、明日をもしれぬ命と思われた時、突然、起き上がり、そして踊りたいと言い出した。勿論、バーバラは止めたが、それでも母マリーは頑として譲らなかった。
それは今にも死にいこうという人間とは思えない、いや死に至る者の覚悟か。
いずれにしても、バーバラはマリーの願いを聞き届けた。
マリーは近隣の農家から集まってきたわずかばかりの観客を前に踊った。
マリーが今まで寝ていた納屋はかつての花形の踊り子が踊る舞台にしてはあまりに粗末であり、あまりにも少ない観客だった。
だが、マリーが踊りはじめるとそんな事は気にならなかった。
立てないほどに弱っていたはずなのに、マリーの踊りは生命力に満ち溢れていた。
命の炎の残りを全て焼き尽くすかのように踊りにまさに全てを捧げた。
その時マリーが踊った曲はさっき吟遊詩人が奏でた曲だった。
あの時の事を忘れるはずはない。聞き間違えなどであるはずがない。
だが、鮮やかな記憶のなかでそこだけあやふやなものがある。
果たしてあの時あの曲を奏でていたのは誰だったのだろうか?と。
ふらりとやって来たたびの吟遊詩人だったと言う事は覚えている。
そして、その時「貴方のために最高の曲を作った。」と言って居た事も覚えている。
その時、一人の人物と隣でずっと一緒に見ていた事も覚えている。
突然現れて、そして次の日にはそういえば、父と呼ぶ人に連れられて行ったあの子。
思い出す度に少しずつ消えて行く記憶。
どんな顔だった、どんな姿だったのか、そもそも、何故そこに居たのか、それはもう思い出せないことだけれど、でもずっと手を握っていた時の感覚だけは今でも覚えている。
バーバラはだんだん頭が痛くなってきたので思考を中断し、じっと見つめていたサングリアに口をつける。
ワインと柑橘類の果肉が口に広がる。恐らくこの街特産のロレンジだろう。
「そういえば、あいつはロレンジが大好きだったっけ」
誰に言うでもなく呟く。
その時、背後から声を掛けられた。
「姐ちゃんよお」
野卑な声のする方向を見やると、先ほどバーバラに踊れといってきた酔っ払いだ。
あの後さらに酒をあおったようである。前後の見境無く酔うとはこう言うことであろうと思われるほど正体をなくしていた。
「なあ、俺が踊れって居た時筈下無く断ったくせによお、気にいらねえなあ。なあ、お前らもそう思うだろう?」
酔っ払いには仲間が居たらしい。バーバラは気付くと3人の男に囲まれていた。
そろいもそろって、深く酩酊していた。話が通じる相手では無く、さっきのようにあしらう訳にもいかないと悟る。
「ちっ、厄介だね」
何とかできない数ではない、剣の心得もある。だが、此処で刃傷沙汰にするわけにも行かない。他のお客さんにも店主にも迷惑を掛ける事になる。
酔っ払いはそんなバーバラを満足そうに舌なめずりしながらじりじりと歩を詰める。
「なあ、ねえちゃん、今度は俺たちの為だけに踊ってくれよお〜ひひひ」
そして他の男がにたにたとしまりの無い顔をしながら近づいてくる。
「たのしくやろうぜ〜〜」
言っている内容に意味は無い、が其の行動で何を求めているかは大体の察しはつく。
この酒場のマスターは、こう言う事態はよくあることなので、暫く黙って見ていたが、だんだんマズイなと思いはじめ、とりあえず、この踊り子に危害を加えようとしたら加勢しようと思い、手にしていたワイングラスとボトルを棚にしまった。
そして、周囲で楽しく談笑していた他の客達も、異変に気付き視線をそちらに向け始めた。
ギターを奏でていた詩人もまた、おやおやと人を食った反応をしながらそちらに目を向ける。その視線は不謹慎にも何事が起きるのか楽しみにしているかのようだった。
「おい、どうするよ・・・」
「大変な事になっているぜ?助けなくて良いのか」
先ほど自分たちに感動をもたらしてくれた人物だけに、其の身を案じる。が、積極的に助けにいこうとする者はない。
理性を喪失した酔っ払いに手を出すのは危険だ。普段ならし得ないような事をやってのける可能性がある。巻き添えを食らいたくないと思うのは人間の性だ。
ホークもまたそう思った。だから左隣に座っていたアルベルトが
「助けに行きましょう!!」と剣に手をかけ、勢いよく立ち上がったのを腕を引いて止めた。
「何をするんですか!!!」
「お前な、此処で剣を抜くつもりか?他の客に迷惑だろうが」
ホークの意見は確かに其の通りだとも思うが、アルベルトは釈然としない。
「放っておくんですか?」
「どうせ赤の他人だ。どうなっても知ったことじゃねえ」
さすが、海賊。冷酷無比な事を平気でいってのける。アルベルトはさすがに憤慨し、力の限りテーブルをたたき、そしてめずらしく怒鳴りつけた。
「ホークさん!!!!貴方は人間の血が流れているんですか?!!どうしてそんな事がいえるのですか!!!グレイさんこの人をどうにかして下さい!!」
そしてグレイに加勢を求め、ホークと反対側の席のほうを振り向いた。
が、すでにそこには誰も居なかった。
「あれ?グレイさん?」
アルベルトは事態が飲み込めずにおろおろするばかりだ。そして其の姿を捜し求めキョロキョロと店内を見回した。
「ああ〜!!もう!何でいつもこう言う展開になるかねえ・・」他の2人よりいち早くグレイの姿を探し当てたホークは頭を抱えそしてさらに呟いた。
「誰かあいつに首輪でもつけといてくれ・・・」
「いくら猫のように自分勝手だからと言っても人間に対してそんな事をしたら犯罪ですよ」
アルベルトは何時もの様に的をはずした突っ込みをいれた。
そう言うやり取りがなされている間、ミリアムは一言も口を聞かず、ただ、黙って見ていた。
「なあ、何とか言ってくれよ」
酔っ払いがバーバラの手を取ろうとした。
「調子に乗るんじゃないよ!」
バーバラは反射的にぴしゃりとその手を跳ね除けた。
豆鉄砲をくらったかのように呆けた様子を浮かべた一瞬後、今度は怒りで満ちた形相を浮かべる。
「このアマ!!調子に乗っているのはどっちだア。踊り子ったってどうせ娼婦とかわりゃしねえだろが!!」
其の言葉にバーバラは保っていた理性の糸が切れるのを感じた。ふつふつとこみ上げる怒りに身をまかせ、躊躇いなく愛用の青竜刀を抜いた。が、その行動は途中で封じられた。
そうする必要がなくなったからだ。
「ぐあ!!」
男は気の抜けるような声をあげて突然バーバラの目の前で崩れ落ちた。
「あ、兄貴?」
男の仲間二人はなにが起きたのか理解するのに時間を要した。しばし呆然としていた。
バーバラもまた、呆然としていたが、それは二人の男とは異なる理由だった。
倒れている男を見下ろしている人間が鞘に収まったままの刀を構えている。
「なんだア!てめえは!」
二人は兄貴をやったのはこいつだと悟り、同時に飛び掛る。其の手には何所に隠し持っていたのかナイフが握られている。
だが、その人物は微動だにせずにぎりぎりまで相手を引き寄せ、そして攻撃しようとナイフを持った右手を突き出した瞬間にがら空きになったみぞおちに刀の柄を叩き込んだ。
そしてもう一人のナイフが突き出され他瞬間に身を低く沈める。其の男は目標物を失ってバランスを崩し、そして、その隙をついて下方からみぞおちを殴られた。
よっぱらいは一人残らず床に倒れていた。
暫く呆気にとられて見守っていたマスターは事態が収集した事に安堵し、それを納めてくれた人物に短く礼を言った。
「助かりました。有難う御座います」
そしてウェイトレスたちを呼びつけ、折り重なるように倒れた男達を片付けさせた。店員達は手馴れたもので、無様に倒れていた酔っ払いを店の外に放り出すという行為を迅速に完了させた。
呆然と一連の出来事を見守っていた酒場の客は、なんとか最小限の被害で納まったことに安堵し、再び中断されていた談笑をはじめる。
詩人は「なんだ、意外とあっさりと終わってしまいましたねえ」とあからさまに残念そうに言いながら、再び音楽を奏ではじめる。
何事も無かったかのように店は何時もの様に喧騒に満たされた。
だが、再び動き出した時に置き去りにされた者が二人。
その二人は身動きもできずに向き合っていた。
バーバラは目の前に居る人物を信じられぬ思いで見つめていた。
さっきまで、思い出そうとして思い出せなかった顔だった。
そして、記憶の中にある其の人物は子供のままだ。だが、見間違えるはずが無かった。
ずっと生きていればよいと願い、探し続けていたのだ。
それに、灰色と一握りの部分だけ鮮やかな緋色の髪、そんな髪を持った人間はほかに見たことが無い。
体が震えるのを感じた。一言尋ねればそれで確認できるのに、もし、万が一違ったらと思うとそれが出来ない。確かめるのが恐かった。
だが、震える体を押さえつけ、意を決して其の人物に近寄ろうと一歩踏み出す。
だが、先に行動したのは相手のほうだった。
その人物は手にした刀を元の場所に戻しながら、表情の無い顔で尋ねた。
「大丈夫か?バーバラ」
バーバラの記憶の中の彼と寸分かわらぬ行動だった。
「グレイ!!」
バーバラは心に湧き上がった感情に身を任せて其の人物の懐に飛び込んだ。
グレイは相手の予期せぬ行動に驚きながらも、しっかりとバーバラを抱きとめた。
店内の客は再び起こった常ならぬ事態に注目する。マスターもまた、手にしたワイングラスを思わず落としてしまった。
一体今日はこれで何度目だろう?
ホークはひゅうっと口笛を吹き、「やるねえ」とニヤニヤし、アルベルトは「ななななんですか!!!?」絵の具を塗ったかのように顔を真っ赤にしておどろき、ミリアムは全てを悟り、諦めにも似た落ち着いた表情で見つめる。
曲を奏で続けていた詩人は瞳をきらきらとさせながら一部始終を見ていた。
「いやあ〜面白い物が見られましたねえ、そうは思いませんか?」
と無責任な事を詩人のグラスにワインを注ごうとしていたシェリルに問うた。
シェリルは詩人の方を一瞥しただけで何も言わずに立ち去る。其の後姿に向って詩人は呟いた。
「1000年たってもそっけない人ですねえ」
シェリルは悲しそうな瞳をじっと二人の方に向けてからささやくように言った。
「アムトの加護があらん事を」
何年ぶりだろう?
話したいことはたくさんある。聴きたいこともたくさんある。だが、今、この瞬間に言葉は要らなかった。確かに生きてそこに存在してる事を確認できただけで満足だった。
紅いアムトの月が天上に輝く夜の出来事であった。
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だいぶ書き直した。
なんでエロールがこんなに腹黒なんですか?
・・・・仕様です。