死の支配する島2
白い死と紅い月は外宮に続く道を供に歩いた。
はたから見たら、といってもこんな場所に人がいる訳もないが、まるで、仲睦まじく語り合っているようにも見えるだろう。
紅い光は少しだけ、木立が作りだすほの暗い闇を緩和する。闇が生み出す恐怖も少しはやわらぐかのようだ。
それは紅い月の作られた理由だった。
もともと天に存在した銀の月と異なり、紅い月はただ、闇の女王を封じる為だけに光の神によって作り出された。
そして、紅い月の女神はその役割をはたさんと、現在エスタミルと呼ばれる地で激しい戦いを繰り広げた。
結果として、闇は月に負けた。そしてその後・・・
思考は中断された。騒がしい赤の月によって。
まったくこいつはまさに光のみによって生まれた神だと改めて思う。
両者共に認めないだろうが、性格が酷似している。
「それにしても、父様もなんで、よりによって貴方にその子供を任せようと思ったのかしら?まあ、ウコムに頼むよりはマシか・・・・」
月の女神は海神の名を引き合いにだしたが、それはまた極端な例を挙げたものだと死の王は思った。
まともに会話をしたことはないが、今まで兄から聞いた話を総合すると、まるで弟である破壊神を髣髴とさせる性格の持ち主であることが想像できる。
何故、それが善なる神々に名を連ね、信仰されているのかは全くもって、謎であり、死の王の理解の範疇を超えている。
「でも、ミルザもダメね。あいつはいい奴なんだけど、1000年たっても、熱血正義バカだから、未だに、闇に対して強い嫌悪感をもっている・・」
人間達の英雄に向って、あまりにも酷い言い様だが、事実でもある。ミルザは人間であった時と少しも変わらず正義感が強く、熱血漢である。本来なら好ましい性格なのだろうが、融通の利かない正義は却って害になる事もある。
必要悪というものを理解できず、多くの幸せのために僅かな人の不幸を見捨てる事が決してできないという性格は神としてはいささか問題である。
「・・・・こういってはなんだけど、神ってあまり碌なもんじゃないわね」
と、自分も神である事は差し置いてため息をついた。
そもそもそう言う本人自体があまり碌な者ではないと目の前の人物に思われているという事実はとりあえず横においておいた。
「ああ、でもシリルとエリスなら・・・・」
ついで、上げたのは森と銀の月の神の名前であった。
確かに、他の神に比べたら、だいぶマシな神である事は間違いない。ほとんど森に引きこもっていて、他の神々との交流を絶っているからであろうか?
だが・・・
「その二人は別の子供の面倒を見ているのではなかったか?」
「あら、知っていたの?」
月の女神は軽く目を見張った。それこそ、自分の兄たる森の神と同じく、地の底に引篭もっているこの神がそのことを知っているとは思わなかった。
あの二人の神が協同して、隠し通そうとした事実。
だから、事実を知った後も光の神は黙殺し、他の神々に傍観に徹するよう言い添え、そして、自らもそのようにしていた。
「以前、エロールが愚痴をこぼしていた。」
おそらく、そんな所だろうとおもった。
自ら、言った事を覆すのは如何なものかと、赤い月はあきれたが、納得した部分もある。
「・・・・本当に父様はおしゃべりね。困った事・・・それにしても、貴方方は仲の良い兄弟だこと・・」
きっと、神々の父にとって、対等たりえるのは妻を除いたら、兄弟だけなのだろう。
そう思うとなにやら面白くなかった。だが、紅い月の女神の言葉に傍目にもわかるほど、不機嫌になった死の王を見て、それよりは悪戯心のほうが首をもたげてきた。
何かを言ってやろうかとおもったが、相手の
「あまり、騒ぐな、起きてしまうではないか」という一言で封じられた。
「あら?あらあら?この子を気遣っているのかしら?珍しいわね、厳格なる死の王が」
紅い月はおかしそうにやはりからかうように言う。そして、やはり不機嫌そうに否定された。
「そうではない、話を聞かれては困るからだ」
確かに、神の事情はただの人間に聞かせてよい話とは思えなかった。いや、ただのと言うと語弊があるかもしれない。
だが、大怪我による昏睡状態ゆえに、周囲が少しばかり騒がしい程度で目覚める心配はまったくない。むしろ、このまま目覚めぬまま、冥府送りになってしまうのではないかという事のほうが心配だった。
「ふーんあっそう、なら、そう言うことにしておいてあげる。」
こんな至近距離で聞こえないはずはなかろうが、死の王は、まるで此処には自分しか存在しないかのごとく振舞い、少しも歩調を乱さずに進む。
少しばかり気分を害した赤い月はこの朴念仁をわずかばかりでも動揺させたくて、まるで今思い出したかのようにさらに一言。
「ああ、そういえば、父様が言っていたっけ、弟は本当はお人好しな神だって」
「戯言を」
「あら、図星?」
取り付く島もなく、言い捨てた死の王に向って赤の月は我が意を得たりとばかりに艶然と笑いかけた。
人であれば、悩殺されるであろう笑みだった。
が、あいにく相手は人ではない身ゆえにそれは通じなかった。いや、たとえ人であってもこの朴念仁に通じたかどうかは定かではない。
赤い月に悩殺されたわけではなかったが、死の王はふと、歩みを止め、振り返る。
そして今までの会話の流れとまったく関係ない事を尋ねた。
「ところで、お主は、このような所にいてよいのか?」
「え?突然何?」
不意を疲れた月の女神は何の事やらさっぱりわからず、ただ、戸惑った。
死の王は特に表情もかえず―といっても骸骨の面で隠されているため、窺い知る余地はないが―言った。
「今日は、愛の女神たる赤い月を讃える日ではなかったか?」
「ああ。そういえば、そうね」
そう、今宵は赤い月の祭りであり、この女神が今ひとつ司る対象である愛を讃える日でもあった。
その祭られるご本尊が、死に最も近い場所にいてはいささか具合が悪いのではないかと疑問に思った。
「うーん、いいんじゃないかな〜。だって勝手に祭ってるだけだもん・・・それに私が強要したわけじゃないしね」
純然たる事実ではあるが、アムト神殿の神官が聞いたら泡を吹いてぶっ倒れ、冥府送りになりそうな事を、心底面倒くさそうに言ってのけた。
「そもそも、何で今日がその祭りなのか、私にも分からないのよ」
「・・・・・・」
死の王はあまりな言い草にしばし唖然としたが、赤い月の言う事も尤も緒だと思った。
赤い月が生まれた日であるとも、赤い月が闇に勝利した日とも、言われているが、いずれも暦という概念がまだなかった頃の出来事である。
それに当の神々ですら、曖昧にしか記憶していないのに、後の人々がいかにして、正確な日時を知る事ができよう?
まったく、人は都合の良いように神の名を唱える。だが、神が神として存在し得るのも、それゆえだ。人が神を思い出さなくなった時、初めて神は神でなくなるのだろう。
神にとっての死はそうやって訪れる。
自らが冥府の番人となって1000の年月の間、次なる生命への源となる魂の渦へと還っていった神が何柱もあった。
かつて存在した創造神をはじめとする古代神もそうやって消滅していった。
そして、それは母である破壊女神の望みであった。古き世と自らの完全なる消滅。
だからこそ、兄たる太陽はたびたび人の世界に下りては、神話を伝えるのだろう。
新しい伝承が古き伝説を塗り替え、やがて人の記憶からその存在を完全に消し去っていく。
故に人間が勝手に作り出した、教義、祭事、伝説は、存在する為の糧となる。
歓迎する理由はあれど、否定すべき理由はない。たとえ、愚かしいと思われる事であっても。
「そう、祭ってくれるのはありがたいんだけど、それは分かっているけど・・」
赤い月は半分は納得しつつ、しかし口を尖らせながら面白くなさそうに呟く。
「納得がいかないのよ」
赤い月は更に言う。
「私が司る愛はそんなに小さなものじゃないのよ」
「そもそも、お主が愛の女神だという事が何かの間違いではないのか?」
死の王は月の女神を横目に見ながら、呆れたように言った。
その言葉が聞こえたか聞こえないか、紅い月は次の言葉で遮った。
「あ、ここね。その子を早く安静に出来る場所に連れて行かなくてはね」
無駄話としか思えない会話をしているうちに、目的地についた。
死のような静寂に包まれた廃墟への道、闖入者によって全く持って騒がしい道程となってしまった。
死の王はそれは何故か不愉快とは感じなかったが、その事に対して不機嫌になった。
が、表面には現れる事はなかったので、その内面の葛藤は何人も知る由はなかった。
「ここに足を踏み入れるのは始めてだけど、ホントに廃墟なのね。」
赤い月の女神は率直な感想を述べた。
どこまでも続くと思われた緑の闇の中に、突如として視界がひらけ、広々とした空間が現れた。赤い光を浴びたそこは寒々とした空気に満ちていた。
ここは、かつて存在した王国の外宮、すなわち、王族の住処だったところだ。
かつては壮麗なる様であったのであろう木造建築はその素材の脆弱さゆえに、殆ど原形をとどめていなかった。そもそも、本当に建物が存在したのかどうかも怪しいぐらいに。
ここが宮殿跡だと知らなかったら、まず、ここに存在する廃材とかつて威容を誇った宮殿を結びつける事は不可能であろう。
その廃材も殆ど、触れたら崩れてしまいそうなほどだ。自然物と人工物の境界が曖昧だ。
神殿たる内宮は朽ち果てていても、まだ、それとわかる姿をなしていた。
だが、人の訪れの全くない外宮は、自然物の侵入を防ぐ事は出来なかったようだ。
人によってつくられた物は人がかかわらなくなったその時から、自然への回帰が始まる。
「当たり前だ。王国が滅んでか一体何年経つと思う」
リガウ王朝が建国されたばかりのバファル帝国に滅ぼされたのはミルザが破壊神を封印した時より30年程後の時代だったと記憶している。
それはつまり900年以上の時を経ているという事。むしろ、それだけの年月に晒されてもまだ、廃墟と分かる程度には残されている事の方が不思議である。
「何故こんな所を隠れ家にしようと思ったの?」
最もな疑問である。そもそも人がすめるような場所であるとは思えなかった。
死の王は、そこここに崩れ落ちているかつて柱だったと思われる残骸を避けつつ、背後の赤い月を振り返りもせず答えた。
「ここまで、入りこむ人間はおらぬ」
「それはそうね・・でも」
月の女神は一旦は納得はするものの、賛成はできかねた。そして、不安そうにあたりをうかがう。
人の気配の全くないこの場所はまるで墓所のようだ。かつてここに人いたという形跡は帰って、それの不在を協調するかのようだ。自分ならば此処には長居したくない。
「・・・・この子を人の世界から隔離するつもり?」
死の王が抱える意識を失ったままの子供に視線を向けながら、そう問う声には刺があった。
「・・・・」
死の王は例によって沈黙で答えたが、それはいつものように、何者をも跳ねつける鎧としての沈黙ではなかった。
面によって表情は分からないが、迷いを感じた。
それに、赤い月は目を伏せ、悲しそうに呟いた。
「それは良い事とは思えないわ」
紅い月はかつて玉砂利が敷いてあったと思われる参道の脇にある石灯籠になんとなく手を触れた。伝わってくるのは石の冷たさのみだ。
「貴方はきっと父様と同じように考えているのね。」
死の王は厳然と答えた。
「奴が何を考えているかなどどうでも良い。私は被害は少ないにこしたことはないと思うだけだ」
その言葉に女神は何かに失望し、諦めたように呟いた。
「そう、父様もそう言っていた。」
しばし、沈黙したが、やがて、立ちふさがるように死の王の前に回りこんだ。
死の王が抱きかかえる子供を指しながら怒ったように、尋問した。
「でも、この子が誰かに危害をなすとどうして断言できるのかしら?」
「・・・・」
死の王は一瞬何かに衝撃を受けたように、歩みを止めた。
紅い月は、死の王の兄である光の神と同類項にまとめられて腹をたてたのだろうかと思った。が次の言葉でそれは思い違いであると悟った。
「そうではない」
普段滅多に感情をあらわさない死の王は僅かにだが、口調に怒気を含ませた。
そして、月の女神を振り返って言った。
「ついてくるが良い」
死の王の突然の変化に呆然とする赤い月にさらに言う。
「そして、見るが言い。」
そして、紅い月に背をむけて、足早に廃墟の奥へと向う。
そうしながらも、自ら抱きかかえた子供に視線を移し、しばしその血の気のない青ざめた寝顔を眺める。そして、わずかに腕に力をこめ、誰に言うでもなくつぶやいた。
「この子供が受けた仕打ちを」
この人たちは一体誰?状態。
デス兄ただのツンデレ・・・・
次へ→
戻る→